トル猫 FX

FXを勉強しながらデイトレやスワップをやっています!投資初心者向けの記事を書いていて、なるべく分かりやすい言葉と、シンプルにスマホでも見やすい!を目標に作っています!トレード実践をやっていて皆さんの参考にしてもらえるように頑張ります!将来的には40代でのセミリタイアを目標にしています!

慰霊の日 戦争体験談とおばぁのユウバン実行

今回は【慰霊の日】について 書いていきたいと思います

慰霊の日と聞いてピンとこない 人もいると思いますが、 沖縄県民として どうしても慰霊の日については 何か書いておきたいと思ったので 私が慰霊日が近づくと 思い出すことを書いていきたいと思います

 

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目次

 

慰霊の日とは

慰霊の日という日を 知らないという人のために軽く説明したいと思います

慰霊の日とは 6月23日 沖縄戦 の犠牲者の追悼・慰霊を目的として、沖縄が定めた日

沖縄のみの記念日です

沖縄に住む私たちにとっては、 当たり前に知っている日なのですが 本土の人は あまり知らないという人も多い日になります!

 

※コメントを頂き参考のリンクを頂きましたので載せておきます 

参考に

なぜ6月23日なのか!?

ほとんどの沖縄県民は なぜ慰霊の日が存在するのかの理由など理解していると思います

日本で唯一地上戦が行われた 沖縄は 6月23日 牛島中将 の自決により事実上組織的な沖縄戦が終わりました!

沖縄戦が終わった日が6月23日なのです!

 

カルチャーショックだった

体験談としては 私が高校を卒業して 本土の専門学校に 入学しました

友人に『今日は慰霊の日だね! 黙祷しなきゃだね』 と言うと 『何それ!? 初めて聞いた』 と言われた事が 少しカルチャーショックでした!

私たち沖縄県民からすると小さいころからとても重要な日として教育されてきましたから【知っているのが当たり前】でした!地域によって文化や言葉が違うのはわかりますが、戦争を体験した日本ですので原爆が投下された日と終戦記念日はもちろん

慰霊の日は知っていて欲しかったです

 

沖縄での戦争教育

沖縄では6月23日が近づくにつれ 鎮魂ムードが漂ってきます 学校教育でも 毎年必ず この時期は 戦争について 考える授業が あります 幼い頃は 『やったー!明日は休みだ』 などと 喜んでいましたが 成長するにつれて この日が どれだけ沖縄にとって大事な日か また どれだけ 戦争について 記憶を残しておくかが 重要なことに 気が付いてきます

今はどうか分かりませんが 私が小学生の時には 必ずと言っていいほど 慰霊の日の前には 『おばぁちゃんやおじぃちゃんに 戦争体験を聞いてきなさい』 と宿題が出されていました!

 

そして 提出日になると 必ず起こる現象がありました それは 『おじぃおばぁが話をしてくれなかった』 だから宿題提出できません !

私のおばぁもそうでした!

私が通っていた小学校では、おじぃおばぁが戦争体験を話してくれなかった子供たちには【戦争を体験した教員OB】が話をしに来てくれて それを 宿題として 提出していいことになっていました!

この話は印象的で今でも、強烈に記憶しています!

死体を踏んで逃げたこと、毒性のあるソテツと呼ばれる植物を何度も洗い食べたこと、猫を食べたこと、兄妹が亡くなったこと、年老いた親に食べ物を与えず餓死させる

 

など・・・信じる事が出来ない体験談を聞きました

中でも鮮明に覚えているのは、近所に住んでいたおばさんが泣きながら赤ちゃんの口を塞ぎ殺してしまう話でした

 

想像できますか?

あなたにお子さんがいて『泣き声がうるさい』からという理由で殺すということを

殺さなければ防空壕を出なければいけない

他の子どものためには防空壕に残らなければ守る事ができない

 

子供を殺すなどありえないし、そんなこと出来るはずがありませんよね

語りべであった先生も涙を流し、震える声で『そんな事が出来てしまうのが戦争』

『人が人ではなくなるが戦争』

まさに本当の地獄

 

私のおばぁも戦争で兄を失い、おじぃは戦争孤児でした

今考えてみるとおばぁなどに対して小学生のころの私は 『おばぁ戦争の話して』と直球でオブラートに包むことはできず気が使えなかったと思います

戦争経験者にとって 戦争の話は 本当に思い出したくもない 辛い 経験だと思います

 

ましてや 小学生に その恐ろしさを 伝えることはできないと おばぁなりの 思いやりだったのではないでしょうか

 

少しずつ変わる戦争教育

現在は子供に恐怖心を与えてしますなどの理由で【戦争の写真】などは展示しない学校も出て来ている!など同級生の教員に聞いたことがあります!

私が小学生の頃は慰霊の日が近づくと【戦争の生々しい写真】が図書室などに展示されていました!

 

賛否両論あると思いますが、私は戦争の写真は展示するべきだと思っています

確かに私自身、怖かったので図書室に行くのを控えたりしていました

夜思い出して眠れなくなることもありました!

でも、あの白黒の写真から伝わてくる強烈な恐怖は【戦争が起こるとこうなる】という直感的に印象を作る事が出来ると思うのです

 

戦争経験者が減っていくなかで、【人が人ではなくなる戦争】の恐ろしさをどう後世に伝えていくのかか戦争を知らない世代に残された課題なのかもしれませんね!

 

おばぁのユウバン実行

戦争体験は語ってくれなかったのですが、私は慰霊の日が近づくとおばぁがいつも口癖で言っていた

ユウバン実行 という言葉が私はいつも思い出されます!

 

おばあちゃん子だった私にとって この言葉は とても馴染みがあり よく使っていた言葉ではあります!

 

ほとんどの人が聞いたことのない 言葉ではないでしょうか!?

ほとんどというよりか 多分いないのではないでしょうか!?

 

※こちらも参考を頂きました! 

www.jlect.com

 

このユウバン実行という言葉は いつもおばあが ご飯を作る時に言う言葉でした!

 

ご飯を作る時間になると スッと立ち上がり 気を付けをして 『ユウバン実行』 と言って 台所に向かうのでした!

 

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幼い頃の私は 何を言っているのか分かりませんでした!

ただ、おばぁがいつも取る言動なので 私も真似して 『ユウバン実行~!』 と言いながら おばぁにくっついて台所に向かうのでした!

 

では【ユウバン実行】という言葉は何なのでしょうか?

 

もうおばぁは亡くなっていて、これは推測になるのですが 私のおばぁは 戦時中 ご飯を作る係をしていたということを聞いたことがあります!

だからユウバン実行という言葉は 【号令】のようなものだったのかなぁと思います!

もしかすると【夕飯】なのかもしれませんね!

 

おばぁの子供である母に『ユウバン実行ってどんな意味かな?』と聞いたことがあります!すると母は 『何かおばぁが使ってたね!』『意味はわからないけど 戦時中に使われていた言葉なんじゃない?』 と言われました!

 

戦時中に使われていた言葉だったとしたら 使うのに少し気が引けますが 私とおばぁの 【合言葉】のように感じて とても 温かい気持ちになるのです!

 

私は 慰霊の日が近づくにつれ 【戦争体験談】とこの【ユウバン実行】という言葉が 思い出されるのです!

 

最後に

昭和にあった 戦争の記憶を 令和に引き継ぐためにも 改めて 戦争に関する日には 戦争について考え 何度でも思い出し 後世に 語り継いでいく ということをしなければなりません!

 

戦争について知らない私たちだからこそ 同じ過ちを 二度と繰り返してはいけない

争いのない 世界にするために 戦っていかないといけないのです!

 

今でも沖縄は基地問題で揺れています

最悪の地上戦があった 沖縄だからこそ この問題にも真剣に取り組んでいかないといけません!

 

今では沖縄は 観光地としても有名ですが 戦争体験の地 としても貴重な歴史を持っています!

観光で訪れた人も 一度は 【平和の礎】 などに 足を運び 戦没者たちに 二度と 戦争は 起こさないと 誓いを立てに行くのも 良いのではないでしょうか

 

 これを読んでくれて 少しでも慰霊の日に 関心を持っていただけたなら 幸いです

読んでくれた人ありがとうございました

それでは私はユウバン実行してきます!